管理会計
財務会計の存在意義の一つに「財務諸表により利害関係者への説明責任を全うする」というテーマがあるが、それとは違い、あくまで企業が、企業自身のために行うことを目的とし、内部会計とも呼ぶ。
wikipediaによると、管理会計の対義語は財務会計らしい。・・・対義語?
概要 †
何のためかというと、予算の策定(計画系)、業績把握(実行系のモニタリング)、予実対比での業績評価(分析系)を行うためであり、更にその目的は迅速かつ精度の高い意思決定を行うためである。
なぜ特記するかというと、これも財務会計と同じく、その昔はリアルタイム性なんてものが無かったため、管理や分析のためのレポートは、完成した頃には鮮度が落ちていたという背景がある。
なお、財務会計との最も大きな違いは法的な制約がないことであり、財務会計上国別要件に引きずられた管理しかできないという部分を解決する用途に利用されることもある。
構成 †
間接費について †
筆者は、シンプルなルールの範疇という括りを逸脱したものついては、企業活動において飛び抜けて価値が低いと考える。 なぜなら、少し悪意のある表現かもしれないが、恣意的な基準を作り、それを使って数字を弄んでも、誰も幸せにならないためである。 意思決定や経費削減の元ネタにならないような管理に意味はない。
ちなみに古くからの名称であるControllingも、「何をコントロールすんの?」ということで、主語がないため好まず、Management Accountingの方が、美しいと思う。
利益は生み出すか? †
究極的な問いの一つに、「システムを導入すれば、利益が上がるのか?」がある。 私はその昔からYesと信じていたが、答えはNoである。
もちろん、だからシステムが何の役にも立たないということではなく、「利益を生み出し得るような経営判断について、これをするに足る拠りどころを、システムが提供する」ということが存在価値のMAXかと思う。
これをポジティブ要素を増やすアプローチと呼ぶならば、不要あるいは削減可能なコストを白日のもとにすることで、マイナス部分を削るというネガティブ要素を減免するというアプローチがある。
これには「さほど無理ないよう費目の金額を削減をする」と「そもそも、その費目に対する出費を取りやめる」の二つがあるが、後者の代表例として人員の削減がある。 よその国ではシステム導入を理由にしたレイオフを禁ずるというようなルールもあるようだが、これが見え隠れしてしまう或いはあからさまになってしまうと色々な方面に不都合が出る。
筆者は、綺麗事ごとではなく、このアクションが行き過ぎることは良くないと考える。 なぜなら、教育や採用にかかる期間やコストは馬鹿にならず、とりあえず切って、また必要になったら雇用するという手法で行くよりも、浮くワークロードを「いままで実施したかったが、なかなかできなかったこと」や「いままで実施してきたことの品質や精度を上げること」に費やす方が、長期的な利益の逸失と損失の最小化が図れるからと考えるためだ。
もちろん、切られるような人は要らない人、という端的かつ本質的な指摘はあるだろうし、それにも一抹の真理が内包されていると思うが、繰り返しになるが、教育や採用にかかる期間やコストは馬鹿にならないのだ。
まとめ前のメモ †
関連 †
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照