チラシの裏/なぜ職能が低いままの人間がいるか
Last-modified: 2015-12-02 (水) 12:52:00
それは、成長しないためである。 これは酷く絶望的な性質で、正そうと試みても、裸族に羞恥心を教える程の高い壁に阻まれ、大抵の人は挫けてしまう。
そんな人について、貶めるためではなく、自戒の意味で言及しようと思う。 また、挫けることない屈強な精神を持てる日が来た時のために。
では、なぜ成長しないか? †
- 丁寧さがない、雑である 汎用性の向上・再利用性の保持・可視性を高める構造化・保守性を高めるカプセル化などの重要な考え方をはじめ、仕組み自体でバグや設計ミスを含む不具合対応の負荷、仕様変更や法改正がもたらす変化への柔軟性、果てはコーディング規約やオブジェクト命名規約の徹底によって得られる検索効率や影響調査の抜け漏れ防止などについて、雑な人間には恩恵が理解できない。 とりあえず組めばいいじゃん的な発想から単に「面倒くさい」という思いしか抱かない傾向が強く、彼らの目にはデメリットしか映らないためだ。 「思慮が浅い」という性質とは毛色が違い、充分な時間や他者による情報あるいは注意喚起などを得ても、Outputの質は向上しない。
- ロジカルでない 筋道だった思考ができない、飛躍した発想で物事を捉えてしまい傍目には辻褄が合っていない、など。 この二つで言うと、前者は要素分解ができない、構成要素を突き詰めようとしないという性質であり、「わからない」という一言で思考放棄・思考停止をしがちなタチの悪い性質である。 後者は連立方程式の2つめの式が抜けているようなもので、脈絡のない思考に陥ることが多い。 大抵は、式の変数xやyに脈絡のないベタ打ちの固定値や自分の中にしかない関数の戻り値を代入してしまっているため客観的な説得力に欠け、指摘されても「なぜ理解が得られないか」を理解できない。
- 着手したこと、そのものしか見ていない ○○を行った、その事自体には大した意味はなく、××と考え、○○を行った、行うつもりだや○○を行うことを通して、××を学ぶ、学んだということが肝要であり、経験の有無だけが判断基準になるのは、足切りなどのネガティブ要素を除外するシーンくらいである。 コーディングをしたことがある、概要設計書を書いたことがある、IMGを触ったことがある・・・これらには、平等に価値がない。
- 人の話を聞かない、不都合な意見は受けつけない 単なる「自尊心が傷つくから系の幼稚な発想」、或いは「自分教の教義に誤りなどない」という宗教じみた発想から。 前者は、思い切って手酷く傷つけてしまうといい。言葉は悪いが犬畜生と一緒のため、本人自身が痛い目を見たり、力関係を明確に突きつけられることでしか目の前の状況を打破できず、そうせざるを得ない場面も少なくない。 後者の唯一の対応手段は「新たな教義を与えること」であり、教祖扱いされる役が嫌だったり他人に押し付けることを厭う場合、事実上更生は不可能と言える。 なお、最も害悪なのは聞き入れるが実施しないことであり、上っ面は「いろいろ教えてください!」とか「指摘があれば宜しくお願いします!」なんて言ったりするが、実際には取り入れない。 いっそ只の嘘つきならばよいのだが、得てして「健康のために運動しよう」と言われたかの如くそうなんですよねーわかってるんですけどねーなんて感じに終始するため、手に負えない。
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